平成の終わりとともに振り返る、星のカービィと私
2017年6月22日。
この日を境に、私の人生は大きく変わった。
星のカービィシリーズとの付き合い
子供の頃からカービィに馴染みはあったが、「友達に借りて遊ぶ」程度だった。
小学生時代に2、コロコロ、64、スマブラ。高校生時代に夢の泉DX、ドロッチェ。
社会人になってから、3DSのアンバサダープログラムで鏡の大迷宮。
「可愛くて面白いけど、熱心に追いかけるほどではない」ぐらいの温度感で、自分で買ったことはなかった。
なぜか綺麗にSDXを避けて通ったというのも大きいかもしれない。
この頃は、長らくポケモンをメインジャンルとして生きていた。
ファーストインパクト: 星のカービィWii
2011年の年末、一人暮らしで帰省もしないということで、あまりに暇だったのでWiiとTVを買った。
そのとき買ったソフトが、星のカービィWii。
特に前情報もなく、「まあカービィなら外れないだろ」ぐらいの軽いノリで。
プレイして、ものすごい衝撃を受けた。
こんなに風景や音楽が美しくて、こんなにキャラクターが魅力的で、こんなに面白いんだ…と、心を打たれた。
初めてカービィの二次創作をしたり、他の人の二次創作を見たり、グッズを買ったりした。
これがきっかけとなって、手の届く範囲で過去作をプレイした。過去に友達に借りたものも自分で買って再度プレイした。
とはいえ、今ほど熱心に追いかけるまでには至らず、しばらくすればまた離れていた。
セカンドインパクト: 星のカービィロボボプラネット
2016年4月、星のカービィロボボプラネットが発売した。
ノーマークだったが、人がプレイしているのを見て面白そうだったので、これも軽いノリで買ってみた。
めちゃくちゃ面白いやん……なにこれ……
Wiiをプレイしたときと同等かそれ以上の感動があった。
ロボボに乗って仕掛けを壊す爽快感、胸が苦しくなるストーリー、過去作ファンを震わせる演出。
この年、私の気持ちの高まりに呼応するように、新しいグッズやカービィカフェといった供給に埋め尽くされ、あっという間にどっぷりハマっていった。
しかし、2017年に入ったあたりから、全く何も描けなくなってしまった。
ペンを握っても、描きたいものがないのだ。
ちょうど転職と重なって、オタク活動と遠ざかっていたからかもしれない。
カービィのことはずっと好きだった。グッズが出れば片っ端から買っていた。
でもそれも本当に欲しかったわけじゃなくて、ただオタクとしての自己を保つためだったように思う。
ゲームをしたら面白いとか、他人の創作物を見て感動する心は残っていた。
でも、今まで絵を描けるオタクであることがアイデンティティだったのに、それを失った自分は何なんだ?
キモオタからオタクを取ったらただのキモじゃん…?
そんなふうに苦悩していた。
サードインパクト: 星のカービィ3
2017年6月、Switchでカービィ新作が出るという発表があった。
一瞬映ったナゴを見て「そういえばカービィ3やったことなかったなあ。やってみるか」と、WiiでVCを購入。
それが、大きな転機となった。
SDXのヘルパーとは違って、固定の2Pキャラがずっとついてきてくれることが心強く、愛着が湧いた。
グーイの正体やラスボスとの関係について、前情報は知っていた。その上で「カービィの冒険についてきてくれる」という事実が、とてつもなく重く感じた。
ゲーム中の情報量は少ないものの、OPで微笑ましく遊ぶ様子や、ステージ開始時のアニメーションから、グーイが仲間として(ちょっと雑に扱われながらも)馴染んでいることがよく分かった。
ちょっと間抜けなCPUも愛おしかった。
カービィとグーイはどんな関係なんだろう。きっと仲が良いのだろう。
この冒険の間、どんな会話をしたんだろう。普段はどんなふうに過ごしているんだろう。
そんなことを考えると、どんどん想像が止まらなくなった。
ペンを握った。あふれる感情を絵にした。
この感覚を、ようやく思い出せた。
このときはこんな簡単な絵が限界だっただけど、ようやく、自分の心が躍る絵を描けたのだ。
それからTwitterやPixivを検索してカービィとグーイの二次創作を漁り、同士とのつながりが生まれ、自分が絵を描くのも人の創作物を見るのも格段に楽しくなった。
現在
一時は理想的な絵が描けないあまりにフォロワーに依頼して描いてもらうということもあった(これはこれで大切な思い出)が、今ではそれなりに自分で満足のいく絵が描けるようになった。
また、素晴らしい同士に恵まれ、ほぼ毎日TwitterのTLでカービィとグーイの絵を目にすることができる。
リアルがしんどい時も、カービィとグーイは聖域だった。彼らのことを考えるだけで微笑ましく、幸せな気持ちになった。
自分がどうだって、彼らが健やかに過ごせていますように。おばあちゃんが孫を思うような気持ちだった。
「尊い」という言葉は今でこそずいぶん使い古されてしまったが、カービィとグーイは私にとってまさに「尊い」という表現がしっくりくる。
自分にとってはただ過ぎゆくだけの四季も、彼らの暮らしを想像すれば心は豊かになった。
どんなふうに四季を楽しんでいるのか、それを考える楽しみができた。
そして、今日で平成が終わる。
平成の時代にカービィとグーイに出会えたこと、これからも彼らが私の心に居続けてくれることを、とても嬉しく思う。