哲学の並木道

自分のための自分語りブログ

転職の話

ブログ作りました。

ちょっと長い自分語りをするのに使っていきます。

 

ブログ一発目の記事は表題の通り。

すこし前に転職したので、自分の転職について振り返ってみます。

 

 

無職時代

2013年、紆余曲折を経て、無職になりました。

実家の田舎に戻り、親のすねをかじりながら過ごしていました。

自分としては、せっかくなので失業手当がもらえるまでのんびりしようと思っていたのですが、祖父が厳しい人だったためそれを許してはくれませんでした。

キレる祖父、キレる私、それを止める祖母、と次第に家族関係が殺伐としてきたので、争いを鎮める事と実家から逃げる事と2つの目的で、就活を始めました。

 

当時のツイート 

無職はつらかった

 

とあるベンチャー企業に入社 

県外の会社に採用され、晴れて無職を脱却しました。

そこで出会ったのが、Tさん(仮名)です。

Tさんはすでに退職予定で、私はTさんのポジションを引き継ぐことになりました。

Tさんは会社で一目置かれる凄腕エンジニアで、技術が好きで好きでたまらないといった、キラキラした人でした。

色々と共通点があった事から私はTさんに気に入られ、引き継ぎ期間の一週間を終える頃にはすっかり意気投合していました。

 

その後、Tさんが会社を辞めてからも、頻繁に会っていました。

カフェで何時間も話し込み、いろんなことを教えてもらって、たまにちょっと良いごはんを奢ってもらっていました。

 

私は「この人のようなすごいエンジニアになりたい」と思っていました。

その気持ちは大きくなり、やがてTさんを神聖視するようになっていました。

尊敬、憧れ、忠誠、信仰。

今思えば、その土地に友達がいない寂しさから、唯一の友達とも呼べるTさんに依存していたようにも感じられます。

 

  

少し話は逸れますが、私はここ数ヶ月、とある疑問を抱いています。

自分は技術職が好きでやってるのか?

それとも、他の業種よりは合ってるからと、消去法で選んでいるのか?

 

けれど、Tさんと会っていたその当時は、何の疑いもなく

「技術職が好きで、技術を学ぶのが好き」

「知識欲に生かされている」

と思っていましたし、そのように振舞っていました。

その思いに疑問を抱くようになった経緯は後述しますが、当時は唯一の友達であるTさんを繋ぎ止めるべく、気に入られようとして自己暗示をかけていたのではないか?と疑っています。

 

Tさんの会社に転職

ある日Tさんに呼び出され、Tさんのいる会社に来ないか、と誘われました。

尊敬するTさんの元で働けるとなっては、断る理由がありません。

建前上の面接を通過し、Tさんの会社で働く事になりました。

 

その会社は、新しいものを作ろうとしている、いわゆる「スタートアップ企業」です。

時間的にも金銭的にもあまり余裕がありません。

必然的に勤務時間は長くなります。

祝日もありません。

事前に聞いてはいましたが、技術職が好きだという事と、Tさんへの忠誠心があった事から、きっと許容できると思っていました。

その2つが私の燃料でした。

 

しかし、疲れれば当然、自分の仕事が嫌になります。

そこまで大した技術力を持っておらず、仕事がうまくいかなかったので、なおさら毎日が憂鬱でした。

自分のできなさを実感するたびに、胸のあたりがウッと気持ち悪くなりました。

「しばらく技術職から離れたいなあ」ということを考えるようになり、「そんな事を考える自分は"本物のエンジニア"ではない」などと考えて落ち込むようになりました。

自分は技術職が好きではなかったのか。

じゃあなぜこの仕事を続けているのか。

この先やっていけるのか。

好きじゃなくても働かなくちゃ、生活のために。

違う、私の目指すエンジニアはそんなんじゃなかったはずだ。

そんな葛藤を繰り広げていました。

 

同時に、Tさんへの忠誠心も、だんだん薄れていきました。

第一の要因は、Tさんから理不尽な扱いを受けたことです。

今となっては私の誤解だったことが分かっていますが、当時の私の忠誠心にヒビを入れるには十分な出来事でした。

第二の要因は、Tさんが私の寂しさを埋める人ではなくなってしまったということです。

Tさんは私以上に激務で、以前のように長時間語らうということはできなくなりました。そして、わずかな自由時間は、私ではない他の人との雑談に充てていました。

当然です。私はTさんに教えてもらうばかりで、Tさんに何かを与えるようなことはできないのですから。

一方私はその土地で恋人ができ、Tさんと話せなくても寂しさを感じることはなくなりました。

自分の中のTさんの立ち位置が変化し、以前ほどの思い入れがなくなってしまったのです。

 

技術への情熱と、Tさんへの忠誠心。

このふたつの燃料を失ってしまった私は、電池切れを起こしました。

 

 

自殺未遂と休職

会社に行くのをやめて、数日間布団に引きこもってしまいました。

Tさんからの連絡も全部無視して、1日の大半を寝て過ごしました。

 

そんな中で、今後の自分の人生について考えていました。 

元々、私は「つらくても頑張る」という事をできた覚えがありません。

つらいことからはことごとく逃げてきました。

そしてまた、仕事が嫌になって逃げようとしている。

そんな自分は社会に適応できない、社会に適応できないなら今後生きていけない。

ならば今のうちに死のう、と考えました。

 

薬と酒を混ぜて飲み、混濁した意識の中で自殺しようとしたのに、気付けばTwitterにわけのわからない投稿をしていました。

ラリってて妖精さんが見えていました。

結局薬の効果が抜けてくるまでろくに動けず、薬が醒めてくる頃には死ぬのが怖くなり、最後はゲロ吐いて後片付けして終わりました。

 

落ち着いてから、これは相当まずい精神状態だ、ちゃんと治療せねばと思い立ちました。

会社は数日無断欠勤してしまったので、もう退職しか許されないだろうなあと思っていたのですが、休職を許してくれました。

この事については本当に感謝しています。

 

 

現状

適切な薬を処方してくれるお医者様に出会えた事と、自分自身でも「別に死ななくてもよくね?」と考えるようにした事で、なんとか復帰できる状態にまで改善しました。

 

今も、自分が本当に技術職が好きなのか、今後も続けられるのか不安ですが、

「頑張らずやらかさず無難に一日を乗り切る」

ことを目標にして、どうにかやれてます。

 

 

転職は失敗だったのか?

一概に失敗だったとは言えません。良くなった点は確実にあります。

ただ、自分はスタートアップの忙しさに適応できるほどのエネルギーを持ち合わせていなかったので、ここへ来るべき人間ではなかったと思います。

もし自分の意志100%で入社したのであれば、多少嫌なことがあっても仕方ないと思えますが、今の会社は「Tさんがいるから」という理由で決めた部分も少なからずあるので、業務で嫌なことがあると「ああ…軽率だったなあ…」と重い気持ちになります。

前の会社も決して嫌いではなかったので、思い出しては少し恋しくなります。

 

この件から学びを得るとしたら、

「誰かと一緒に働きたい」という動機での転職はやめた方がいいという事。

人間関係を抜きにして、自分自身が本当にその仕事をやりたいのでなければ、もっと慎重に考えるべき。

 

そんな当たり前のことも分からなかったのはなぜか。

憧れのエンジニアであるTさんに引き抜かれたことで、自分もすごいエンジニアの仲間入りをしたという幻想に浸ってしまい、現実を見ていなかったのです。

 

今のTさんとの関係は、ほとんど仕事の話しかしない、極めてドライなものです。

憧れのTさんの隣の席の部下になったことで、心理的な距離は遠ざかった。

本末転倒です。

本当に、軽率だったと思います。